「中国人の日本語作文コンクール」受賞作品に複雑な思い

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2016年12月12日、北京の日本大使館で第12回「中国人の日本語作文コンクール」の表彰式と日本語スピーチ大会が開催されました。これは中国国内でも規模が大きく、知名度と権威性も高いコンクールで、中国各地の189校から過去最多となる5190本に及ぶ応募作が寄せられました。

出典:在中国日本大使館の微信公众号

今回の応募テーマは①訪日中国人、「爆買い」以外にできること ②私を変えた、日本語教師の教え ③あの受賞者は今――先輩に学び、そして超えるには? の3つ。

その中で最優秀賞(日本大使賞)に選ばれた白宇さんの「二人の先生の笑顔が私に大切なことを教えてくれた」の始まりの数行を読んだだけで、これを書いた白宇さんの感情が自分にどっと流れ込んでくる感じがして、何とも言えない気分になりました。

それがこちら。※一部を抜粋

大学の専門が決まった日のことは今でも覚えている。私が遠く蘭州まで行って日本語を勉強すると聞いて、友達は皆馬鹿にしたように笑った。両親の「もう一年、浪人して頑張る?」という言葉が、傷だらけの私の心に止めを刺した。

浪人する勇気も無かった私は、入学後、専門を変えることだけに望みを託した。蘭州まで付き添ってくれた母は私の将来を悲観して、帰りの電車で泣き続けたという。2012年、小さな島をめぐって中日関係が最悪となった、その年のことだった。

私も中国に住んで長いので、それなりにいろいろな経験をしてきました。
この作者のように、中国に行くことを家族に反対されたり、中国語を勉強するのを馬鹿にされたことはありませんが、この文章を読んだ途端に自分の中国にいることによって経験した辛いことが、湧き出るように思い出されました。

また自分の思い出とは別に、中国でも都会に住んでいて、しかも日本人の知り合いがいるような中国人たちは、「日本に旅行にいった」とか、「日本の化粧品はすごく良い」とかいうような良い話しかしてこないので忘れかけていたけれど、今でも中国の田舎では日本人は中国人を虐殺する軍人のイメージしかないんだなぁとあらためて突きつけられて軽くショックでした。知っているつもりではいたけれど、実際に「親に泣かれた」とか言われるとやっぱりグサッときますね。

この白宇さん自身も最初は日本にいいイメージを持っていなかったものの、よい日本人の日本語教師にめぐまれ、徐々に心変わりしていったということがこの作文に書かれてあり、このような人がどんどん増えて欲しいと思わされました。

最優秀賞(日本大使賞)に選ばれた白宇さんの「二人の先生の笑顔が私に大切なことを教えてくれた」の全文を読みたい方は、下記のリンクから読むことができます。

第12届“中国人日语作文竞赛”的颁奖典礼